大河千曲川に架かる全国でも珍しい「鉄道道路併用橋」村山橋 全長837.8m!

 

長野県北部(北信)、県庁所在地長野市とその東の扇状地上に位置する須坂市(須べからず坂の町)その2つの市を別かつ日本一の大河千曲川(県内は千曲川、新潟県に入ると信濃川と呼称される。全長367Km)に架かっているのが村山橋である。長野電鉄長野線と国道406号で共用している全国でも珍しい「鉄道道路併用橋」である。鉄道としては、長野線の柳原駅と村山駅の間に位置する。

 

現在の村山橋は全長837.8 m、車道幅3.25 mの4車線、歩道幅3.5 mで両側歩道、鉄道幅4.8 mでロングレール、6連のトラス橋と5連の鋼製桁橋の組み合わせとなっている。

2009年(平成21年)までは下流側(北側)に大正時代に建設された旧橋が架けられていて旧橋も鉄道道路併用橋だった。

 

もともとこの位置には、明治末期に舟橋(川に船を並べ、その上に板を渡した橋)が架けられていた。これが老朽化してきたため、永久橋として架け替える計画が立てられた。この際長野~須坂間の鉄道建設の話も持ち上がり、長野電気鉄道を設立された。

 

一方この頃、長野市の東隣に位置する町村が長野市と合併する計画が進行しており、その中の1つである吉田町は、合併条件として長野と須坂を結ぶ鉄道を挙げた。これを当時の長野市長が積極的に支持し、長野市が一部を出資する形で長野電気鉄道を設立することになった。その際千曲川に架ける橋は、予算的な問題もあり、鉄道・道路の併用橋になった。1924年(大正13年)に5月に許可が出て、11月1日に着工された。

 

大正時代に建設された村山橋は、全長814.2 m、車道幅5.5 mの2車線、鉄道幅3.8 m、7連のトラス橋とコンクリート製桁橋11連、単純鋼板桁橋33連を組み合わせたものであった。総工費は109万円で、1926年(大正15年)4月30日に橋が完成した。建設費は、独立していた部分についてはそれぞれが負担し、共用していたトラス橋については、長野県が6割、長野電気鉄道が4割を負担した。

 

権堂と須坂を結ぶ鉄道は、この年の6月28日に開通した。その後長野電気鉄道は、屋代線(2012年(平成24年)4月1日廃線)などを建設した河東鉄道に9月30日に吸収され、河東鉄道が改称して長野電鉄となった。また道路はおよそ1年遅れて、1927年(昭和2年)7月に開通した。

 

平成に入り、老朽化などの理由で架け替えられることになった。2009年11月9日から運用が開始された。上下2本の橋が架かり、下流側の橋が、長野電鉄と併用になっている。(形式トラスト橋、全長837.8m,巾25m)

 

小生はこの橋には思い入れがある。小学生の頃、親爺が釣りに凝って、よくこの橋の付近で、釣りをしていた。休みの日など、弟と一緒について行った。一緒に釣りもやったのだが、親爺は結構夜遅くまでやっていて、真っ暗な河原で止めるのを待っていたことが再三あった。カエルが鳴く声が絶え間なく聞こえるなか、まあ心細ささもあったのだが、そのとき、鉄橋を電車が通る時だけは、電車の通過する音と、車窓の明かりが見えて、心細さが和らいだ。全長814mもある橋だったので、結構ながく、音が聞こえ、明かりを見ることが出来た。

 

小生は撮影をする機会が多いのだが、長野電鉄の電車の写真を撮る際、ここ村山鉄橋は撮影ポイントになるので、訪れる機会も多い。

 

記事・引用・参考元  .wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%B1%B1%E6%A9%8B

画像・動画 Original