【神社仏閣巡り】亀倉の細い農道の交差点に花にかこまれた庚申塔あり!
早朝秋葉三社神社の春季例祭の準備で、動いた後、午後まで時間が空いたので、亀倉から米子の方に行ってみようと思い立った。先日桜を見に回ったコースだ。まあ満開だった桜も、葉桜になって、殺風景な緑一色だろうなと思い、何も期待せず出掛けた。つい10日程前に、市街地に一番近い里山は、冬の茶系の山肌だったが、一斉に芽が噴き出て、濃い緑に変化している。天候は晴れ、熱くも寒くもない快適な温度だ。
亀倉に入り、萬龍寺の方へ行ってみようと、見当をつけて走っていると、「庚申塔」と書かれた案内板が目に入った。車を停めて、案内板を見たら、「江戸時代に普及した庚申信仰にまつわる塔で、自然現象を支配する帝釈天の使者である青面天を祀っている」と書かれていた。はて!? 「青面天」ってなに!? 初めて聞いたなあ?
■その前に、そもそも「庚申」とは何?■
道教の教えでは、人間の体内には三つの霊が宿っているという。魂(コン)、魄(ハク)、三尸(さんし)である。人が死ぬと、魂(コン)は天に昇り、魄(ハク)は地下に入る。講談や映画に出てくる幽霊が最初に述べる決まり文句があって、「恨めしや~、コンパクこの世に留まりて恨みはらさずおくものか~」の魂(コン)・魄(ハク)がこれである。即ち、魂・魄がこの世にいれば死んでいないということなのであろう。
問題は、残りの三尸(さんし)と言う虫がとんでもない悪さをする。三尸は宿主が死んだ後は自由に遊び回れる存在なのだという。祭り等にも行けるから、早く宿主が死ぬのを待ち望んでいるのだ。とんでもない奴や!
そして、具合の悪いことに、旧暦で60日に一回巡ってくる庚申(かのえさる)の日に三尸は宿主の体内を抜け出せる。天に昇って天帝に宿主の日頃の行状を報告する役目も負っていて、その報告によっては寿命を短くされるそうだ。翌朝に目を覚ます前には戻っている。
これは、恐ろしいことでしょう、あることない事告げ口されて寿命が縮まってしまうというのだからです。
それで、庚申の日になる前日から集団で徹夜すれば三尸は体内から出られない。この集会(講)を3年18回続けた記念に建立したのが庚申塔(正式には庚申待ち供養塔)という訳です。
既に10世紀ごろには盛んだった様で、『枕草子』、『大鏡』などに記述がある。この教えが広まっていく中で仏教や庶民の信仰が加わり、江戸時代には全国の農村などで大流行したとのことです。
ここ亀倉の地にも、庚申講があって、村民が、「三尸が体内を抜け出せないよう」徹夜をしたのだろう。
■加えて青面金剛とは■
「青面金剛は、もともと病を流行らせる悪鬼だったが、改心して病を駆逐する善神になった。」とされている。(南北朝時代の仏教説話集「渓嵐拾葉集」による)
<青面金剛が庚申の主尊とされた理由>
「三尸虫の活動を封じ込める」という庚申信仰の目的から、青面金剛は「病気を駆逐する神様」の代表として選ばれたものと思われる。(力づくで病魔を駆逐してくれる神様は他に見当たらない。)
青面金剛の姿の原型は「ヒンズー教のシヴァに対抗して作られた仏教の将軍マハーカーラ」であるが、絵姿だけが一人歩きして中国に伝えられ、その怖ろしい外観から「病気を流行らせる悪鬼」と誤伝されて、病気平癒の祈祷の対象にされていた。
この鬼(儀軌4手)は取り扱いを誤ると危険なので、高僧や修行者しか扱えない、素人でも病魔退散を祈願できる穏やかな善神青面金剛の要望が高まり、平安時代に6手木像が作られて、後の青面金剛の原型になったとされる。
ここを皮切りに、道祖神・萬龍寺・米子地蔵堂・東照寺・東山躑躅公園・一塔六地蔵に行ってみた。桜が散って、緑一色の風景と思っていたが、さにあらず、赤や、ピンクや、白で
賑やかな画像が撮れたので満足であった。
画像元 オリジナル
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