19年は選挙の年!参院選は安倍自民の惨敗確定的!成果がないので当たり前! それでも居座る“厚顔”政権! 非見常識の極み!
19年は選挙イヤーだ。4年に1度の統一地方選と3年おきの参院選が重なる亥年の国政選挙は、与党が負けるというジンクスがある。実際、安倍は辛酸をなめた。第1次安倍政権の07年、参院選で歴史的惨敗を喫したのだ。シレッと続投を表明するも、惨敗から1カ月半後に政権を投げ出すきっかけになった。
■さて、19年の亥年選挙はどういう結末をもたらすか■
「18年末の世論調査では軒並み内閣支持率が下落しました。この1年間で何ひとつ成果がないのだから当然です。頼みの北方領土問題も拉致問題も展望がありません。こうなると、参院選も厳しい。安倍自民が負けることは確定的で、“どれだけ負けるか”の選挙になります。参院で3分の2議席を維持することは難しく、単独過半数を割り込む可能性もある。さすがに過半数割れなら、退陣の2文字もチラついてくるのではないか。安倍首相は負けても居座る気でしょうが、首相周辺は、12年前の悪夢の再来を恐れています」(政治評論家・野上忠興氏)
ただ、当時と違うのは、党内に有力なポスト安倍が見当たらず、政権交代を伺う強い野党も存在しないことだ。敵は自民なのに、野党同士でいがみ合い、足を引っ張り合っているようではどうしようもない。
野田前首相や岡田元代表ら民主党政権の重鎮たちは、自分たちを排除した国民民主党への憎悪を滾らせ、立憲民主党への入党も検討しているというが、そうなれば立憲民主がオワコン化する。スキあらばと自民党への入党を狙う裏切り者も後を絶たない。
野党がこの調子では、参院選惨敗でも自民1強の安倍独裁が続き、野党は消滅に向かうだけだ。
(私見)
日本人は「絶対観」というのを持ち過ぎる! 絶対的正義などというものはこの世の中存在しないが、特に政界では、それを求める方が無理だ。政治とは、利害関係のぶつかり合いの場であるが、特にこの6.7年については、国民無視の、政治家個人の利害関係に拘る醜態が目に余る。国民は疲弊する一方だ。これ丈総理としての実績がなく、体面を取り繕うことに専念し、自分を立て、国民を蔑ろにする政権はあり得ない。辞めさせ様にも、2/3にも達する勢力を持ち、好き勝手にやっている状況では、辞めさせる術がない。19年は選挙の年である。ここで現政権を倒さなければ、日本はいよいよ滅亡に向かう。政権は、国民分断を狙い、利害関係を対立させ、野党に投票させないように、恥も外聞もなく、デマの類を垂れ流すだろう。
こういう状況の時に、どういう投票行動をとるべきか。それは野党第1党(乃至は野党統一候補)に投票を集中化させることだ。「誰がやっても変わりがない」等というのは、政権党に与する発言で、国民を分断化させるものである。政治とは「相対的」なもので、「絶対的」なものではないから、「相対的な投票」をすべきだ。よりマシな方へ投票する。野党はそれに応えるべく、「小異を残して大同につく」べきである。小異に拘り大局を外すべきではない。ナチスドイツが台頭してきた時チャーチルは共産党とも共闘した。政治とはそういうものだ。
日本人はこういう考え方が出来ず、「絶対的」考えに支配され、結局は権力に靡くという構造が存在する。また権力に抗することは悪というような「お上」崇拝的な心情も強い。
本年の選挙は、現政権に終止符を打つという観点から、野党統一候補に投票を集中させるべきだ。150年以前の帝国主義を標榜し、歴史の歯車を逆回転させるような政治は「歴史的正当性」を持ちえない。又々日本を戦争に引き込む結末になるからだ。19年はそういう意味で分岐点になる年である。
記事・画像 引用・参考元 日刊ゲンダイ
画像元 yjimage
https://search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A2RA0D0lGixcmVsAYQiJBtF7?p=%E9%87%8E%E5%85%9A%E5%85%B1%E9%97%98%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%E7%94%BB%E5%83%8F&fr=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=-1&oq=%E9%87%8E%E5%85%9A%E5%85%B1%E9%97%98+%E7%94%BB%E5%83%8F&at=&aa=&ai=CLJ9siGjTrypf53rSLdMlA&ts=1451
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