長野県天然記念物指定の、奇岩「岩鼻」考! 嘗て周辺は湖だったとの説がある!
岩鼻(いわばな)とは、長野県上田市と埴科郡坂城町との境付近にある景勝地なのだが、聞いただけでは何であるか解らないのではないかと思う。国道18号線を長野に向かい、上田市街を抜けて、西上田に入ると、千曲川(新潟県に入ると信濃川と呼称される)の両岸を崖同士が向き合って聳え立っているのが確認できる。(川下に向かって)右岸の崖は上田市と坂城町の境に在るが左岸の崖は上田市に属し、坂城町との境からは離れている。長野県の天然記念物に指定されている。『源平盛衰記』においては、塩尻狭と記された場所に当たり、古くは「岩端」、「岩花」、「巖華」とも呼ばれていた。
☝ 千曲川を挟んでいる左右の岩が繋がっていて、嘗ては、湖だったという伝承が存在する!
千曲川を挟んで左岸の崖を半過岩鼻(はんがいわばな)といい、右岸の崖を下塩尻岩鼻、または塩尻岩鼻と呼んでいる。前者は柱状節理が発達した石英角閃石ひん岩、後者は緑色凝灰岩(グリーンタフ)をそれぞれ主体とする岩石から成っている。この地質の差異は、崖間に「千曲川断層」が存在することを示唆している。崖の高さは約120メートル。平坦な崖上面には河床礫が見られ、かつての千曲川の河床の高さが伺い知れる。これら2つの崖はもともと陸続きであり、冠着山と四阿山とを結んでいた。これを千曲川が侵食したことで、現在の様な川を挟んで崖同士が相対する地形となった。それまで岩鼻上流は大きな湖であったとされ、これを由来とする民話や地名が東信地方(上小地域・佐久地域)の各所に残り伝承されている。
☝ 繋がっていたとする「イメージ図」
長野県は1974年(昭和49年)1月14日付けで当地13ヘクタールを「小泉、下塩尻及び南条の岩鼻」の名称で天然記念物(地質鉱物)に指定した。「岩鼻」という名の由来については、聳える巨岩が今にも落ちそうにして千曲川に迫っている様子(岩の端)から、あるいは外観が人間の鼻の形に似ているからとも言われる。実際にそのように見える。
岩鼻では、千曲川を境にして右岸に国道18号・上信越自動車道・しなの鉄道しなの鉄道線・JR北陸新幹線が、左岸に国道18号上田坂城バイパス・長野県道77号長野上田線がそれぞれ通じている。元々当地は埴科郡・更級郡・小県郡の3郡が接し、北国街道が通じる交通の要衝であった。参勤交代でここの地を通過する加賀藩は当地の地形に危惧を抱いており、通過の際は金沢に使者を送り、自らの無事を伝えたという話が伝わっている。
☝ 上田市方面に向かってみた場合の両岩鼻
嘗て岩鼻より上流が湖だったことを裏付けるような地名が存在する。岩鼻近くに見える「塩尻」という地名は、かつての湖の北端を意味する「潮尻」に由来するとされ、また南佐久郡に見える「海の口」、「海尻」、「海瀬」といった地名は湖の南端に位置していたことに由来するという説がある。
また、当地には大ネズミによって岩鼻が破られたことで、これより上流に存在した湖が失われたとする伝承がある。そのあらすじは次の通りである。嘗て多くの子ネズミを従える大ネズミが村に住みつき、田畑を荒らし回っていた。困った村人たちは大きなネコ(唐猫)をけしかけ、大ネズミを岸壁まで追い詰める。大ネズミは死に物狂いで岩壁を食い破ると、湖の水がほと走り、大ネズミや子ネズミ、そして唐猫ともども流れ去った。
岩鼻付近には実際「鼠」という地名があり(坂城町南条鼠)、一説にはこの伝承に由来すると考えられている。しかし別説もある。(かつて信濃国の国府への狼煙台があった場所、すなわち「不寝見(ねずみ)」に由来するという異もある)
またまた異説であるが、ここら辺一体の特産品である「ねずみ大根」に由来するという説もある。これをおろし、出た汁を味噌で溶いて、蕎麦のつけ汁にしたものを「おしぼり」と言い、付近一帯で供されている。おろしは又、薬味としてもつかわれる!
また、伝承の中で大ネズミを追い詰めた唐猫が流れ着き、息絶えた場所である長野市篠ノ井には、「唐猫神社」(軻良根古神社)という、唐猫を祀った神社まで実しやかに存在する。
このほか、ダイダラボッチや小泉小太郎が岩鼻を破ったという民話もあるが長くなるので今回は省略。しかし信州は山また山の山深い土地柄であるが、県都長野市にも、水に肖ったような地名が結構ある。千曲川や、犀川沿岸に多く存在するように思う。また長野市(旧市街)の西側には、石灰岩の山が多く、白い岩肌が露出しているが嘗ては海底だったといわれている。
☝実際「鼻」のように見える!
参考・画像 wikipedia
画像 小生オリジナル
画像元 yjimage
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