【古墳】大蔵京古墳 豊萩務原埜神社と大蔵京古墳 [長野県上田市]
朝9時半に上田でアポがあったので、7時に家を出た。上田に入り、国道18号上田バイパスを走っていたら、「大蔵京古墳」の案内板が目についた。100mとあったが、山沿いで、それらしきものが見当たらない。傍に赤い鳥居が見えたので、古墳は諦め神社の方に行ってみることにした!境内に入ったら、本堂の右手奥に古墳があった!
大蔵京古墳は、秋和地区の北側に聳える虚空蔵山南麓の傾斜面にあり、古墳の形は方墳である。[双子塚とも呼ばれたことがあり、前方後円墳とみられた時期もあった]これは東側にある古墳状の盛土部分古墳に含めてのものであったと思います。現在では西側にある墳丘〔ふんきゅう〕のみが古墳とされています。
墳丘の四辺は東西南北の方位にほぼ正確に一致していて、計画的に造られた古墳と思われますが、その規模は東辺32m、西辺34m、南辺35m、北辺33.5mの四辺形になっています。また、墳頂部は各辺8mあり、高さは約6mの比較的大きな方墳である。
☟【古墳】大蔵京古墳 豊萩務原埜神社と大蔵京古墳 [上田市]
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※古墳らしきものが見当たらず、急遽豊萩務原埜神社参拝に切り替え、この結構長い階段を登って行った。登り切ったら、左手に大蔵京古墳があった。
嘗て墳丘の南斜面から四点の土師器片〔はじきへん〕が表面採集されましたが、このうち二点は有段口縁〔ゆうだんこうえん〕(縁に段がついている形、図参照)をもつ大型の壷の一部とみられます。この土器は、表面の整形方法や赤く塗ったりしているなどの特徴から、およそ四世紀終末から五世紀前半頃の資料と推定されています。そして古墳の造られた年代も、この時期ではないかとのことです。
☟【神社仏閣めぐり】 豊萩務原埜神社
今まで、当地方で最も大きい方墳として知られる東部町の中曽根親王塚古墳(5世紀後半)や、同町の塚原二号・五号墳(五世紀初頭)が古いとみられていましたが、それより、さらに古い時期の古墳と位置づけられています。上田盆地では、今のところ最も古い古墳と考えられています。
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古墳の東隣には、江戸時代に神社の社殿[豊萩務原埜神社]が建てられています。
上田市文化財マップ
http://museum.umic.jp/map/document/dot43.html 参照しました。
※ 仕事で上田に行ったのですが、早く着き過ぎてしまい、時間調整で寄った古墳と神社です。
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