福島正則シリーズ第2弾、前回は荼毘地跡をご案内いたしましたが、今回は「屋敷跡」について記します。福島正則屋敷跡(ふくしままさのりやしきあと)は、長野県上高井郡高山村にある史跡。昭和41年3月31日長野県史跡にも指定されている。
元和5年(1619年)、安芸・備後両国の大名福島正則が広島城の無断普請を理由に領地を没収され、この地に転封を命じられて居住した所である。高井野藩4万5千石(後に2万5千石を返上)の藩庁が置かれた。規模は103m×70mの広さで、方形単郭の平城であった。東北隅に高さ5mの土塁が残存するのみ。現在は屋敷跡の中央に高井山高井寺(たかいさんこうせいじ)が建っている。
現存する石垣は、安政年間(1854-1860)に高井寺が土塁や空堀を壊して修築の手を加えたものであり、屋敷跡としては往時の面影はない。高井寺には、福島正則の遺品として肖像画、槍先、仏舎利、掛軸(正則の高井野での功績をたたえた絵伝)が伝えられている。
荼毘地跡は車を運転して偶然案内板が目に入って訪れたのですが、この地に正則が転封されたことを初めて知り興味を持ちました。調べたら屋敷跡も傍にあることが解り後日行ってみました。その際の動画を撮りましたので掲載しておきます。
動画 Original
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