海老一染之助逝去!妻が明かす染之助さんの超ストイックな素顔 暇さえあれば稽古、稽古!
伝統芸能「太神楽」の曲芸師で、6日に肺炎のため83歳で亡くなった海老一染之助(本名・村井正親)さんの通夜が10日、東京都中野区の東光寺で営まれた。報道陣の取材に応じた喪主で妻の村井秀子さん(81)は「暇さえあれば稽古、稽古でした」と、芸に対してストイックだった夫の素顔を明かした。
染之助さんとは12歳くらいの頃に、日本舞踊の稽古で知り合ったという。当初は踊りのお師匠さんと勘違いしていたが、演芸場で芸を見せてもらい、初めて芸人と認識した。「当時から本当に芸が好きでした」と懐かしんだ。
染之助さんは、普段からひたすらストイックに練習を積んでいた。「納得するまで同じことを何度も何度も繰り返していました。庭の土が稽古でガチガチになるくらいものすごく真剣。“何でも命がけ”が口癖でしたから」と鬼気迫る様子だったことを明かした。
結婚後も稽古漬けの毎日で「ゆっくり話すこともない」程だった。一緒に遊びに行った記憶もあまりないが、米国に在住していた次男を訪ね、孫の顔を見に行ったことは「楽しく思い出されますね」と振り返った。
亡くなって、ようやく稽古から“解放”された形。芸一筋に生きた夫を「“お疲れさまでした”と言ってあげたいですね」と優しくねぎらった。
この日は演芸人や関係者約250人が弔問に訪れた。遺影は2002年頃に撮影されたもので、トレードマークのオレンジ色の紋付き姿。祭壇には芸の道具の傘、まり、土瓶、バチが飾られた。戒名は「至藝染朗信士(しげいせんろうしんじ)」。芸を極め、人の喜びで舞台を染め上げたという意味が込められている。
秀子さんは、葬儀後にひつぎに傘とまりを納めることを明かした。「いつもお稽古をしていたので。天国に行って(兄の)染太郎さんとまたコンビをやってくれるんじゃないかと思います」。お正月にはいつも「おめでとうございまーす」と明るい笑顔を振りまいていた海老一染之助・染太郎が、天国で復活することを願った。
記事・画像 引用・参考元 Yahoo News <デイリー>
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