「東雲に 勇みいななく 寒立馬 筑紫ヶ原の 嵐ものかな」と読まれた 津軽半島尻屋崎寒風吹きすさぶ中に佇む寒立馬(かんだちめ)

 

 

【下北半島再突端の尻屋崎 東通村】

尻屋漁港。東通村の根幹産業は漁業です。主な漁獲はイカと昆布で、季節によってウニやアワビも採れます。東通村では肉が高級品だったため、カレーにはアワビを入れていたそうです。

 

吹雪の中、寒さをこらえて佇む馬として有名な寒立馬(かんだちめ)。彼らが暮らす尻屋崎(しりやざき)は、青森県北東に突き出た本州最北の半島にあります。東北新幹線の八戸で在来線に乗り継ぎ、野辺地(のへじ)まで行くと、そこで青森からくる大湊(おおみなと)線に乗換え、下北半島を陸奥湾に沿って北上します。晴れた日の冴え渡る空、雪の白、海の深い青のコントラストは、下北ならではの冬景色です。本州最北の駅「下北」からさらに車で約1時間、ようやく尻屋地区に到着です。

 

「東雲に 勇みいななく 寒立馬 筑紫ヶ原の 嵐ものかな」

 

これは、昭和45年当時、青森県東通村尻屋小中学校の校長先生だった岩佐勉氏が、地元で放し飼いにされている馬たちの風雪に耐える姿を詠んだ歌です。このときから尻屋の馬たちは「寒立馬(かんだちめ)」という愛称を得て、全国的に有名になりました。

 

【寒立馬。冬の放牧地アタカで】

 

下北半島の最東端にある。岬の先端には日本最大級の明るさを誇る白亜の灯台があります。夏秋頃はイカ釣りの漁り火がとてもきれいです。ここには、かつての南部藩の牧場もあり、極寒にも耐えられる寒立馬は今でも健在。

寒立馬の生い立ち東通村の海岸地帯には、南部藩政時代から田名部馬と呼ばれる比較的小柄で寒気と粗食に耐え、持久力に富んだ馬が「四季置付」と称し周年放牧されていました。

これらは、南部馬を祖とし、藩政時代から明治、大正、昭和に亘って主として軍用馬として外来種との交配によって改良されてきた田名部馬であり、なかでも、尻屋地区ではこの田名部馬をブルトン種と交配することにより独自の農用馬(肉用馬)として改良してきました。

寒立馬名称の由来かつてこの地方の「かもしか」を動物作家戸川幸男氏は「寒立(かんだち)」と名付けたといいます。

 

さらに、昭和43年尻屋崎が下北半島国定公園に指定され、訪れた観光客が「白亜の灯台と寒立馬」が織り成す牧歌的叙情風景に魅せられ、観光客が訪れるようになりました。

 

ちなみにマダギ(狩人)たちは、カモシカが厳寒のなか動かず何日もじっとたたずむ姿を「かんたち」と呼んでいました。それを「寒立(かんたち)」と言い、この馬にもその状態を見ることがあります。

かつて農家の大切な働き手として里山の風景になくてはならない存在だった「在来馬」。

 

○むつ市内から東通村へ向かう道路沿いに点在するゴミ収集所には、寒立馬の姿が描かれています。

○東通村入り口付近に巨大な風車が立ち並んでいます。常に吹き付ける季節風の力を利用した風力発電が、村や電力会社を潤しています。

○かつて寒立馬の歌を詠んだ岩佐勉氏が校長先生を勤めていた尻屋小中学校。立派な施設ですが、残念ながら今は統廃合で廃校になりました。

 

 

【かつて漁師とともに働いた田名部馬がルーツ!尻屋牧野組合の寒立馬の保護活動】

 

寒立馬はもとを糾せば、下北半島原産の田名部馬(たなぶうま)という農耕馬です。現在のむつ市の中心部である田名部では、藩政時代は南部藩による馬政のもと、盛んに馬産が行われていました。南部藩が管轄する九牧(くまき)のうち、大間(おおま)と奥戸(おこっべ)の2つの牧が現在の下北にあったこと、2つの牧は野続きであったことが古文書にも記されています。大間野は現在の大間町付近、そして奥戸牧は現在の尻屋・目名(めな)地区付近にあたります。

1957年の調査によると、尻屋では馬の繁殖に力を入れ、放牧期間も長かったとのことです。漁業と畜産を兼業し、どの家でも牛や馬を飼い、特に馬は水揚げした昆布やイカの運搬に活躍していました。漁師さんたちにとって畜産は漁業ができない冬場の大切な収入源だったのです。馬は主に放牧で飼養されていたことから、尻屋の人たちは「野放し馬」と呼んでいました。

 

やがて、港が整備されるとともに機械化が進み、漁師さんたちが漁業だけで生計をたてられるようになると、田名部馬は農用馬・荷役馬としての仕事がなくなり、次第に肉用馬として生産されるようになったのです。

 

広々としたアタカ。雪はそれほど多くありませんが、強い風が吹き抜けます。

東通村では青森県の補助を得て、寒立馬が産んだ牝馬はすべて田名部畜産農協で買い上げて尻屋牧野組合に飼育管理を委託。そして、牝馬1頭を返納すれば組合員に親馬を無償譲渡する、という寒立馬導入事業を実施しました。この事業は成功し、平成元年には80頭にまで増えましたが、平成3年に牛肉の自由化が実施され、肉用輸入馬が増加すると、国内産の需要は低迷。馬を手放す人が続出し、寒立馬は再び9頭にまで減ってしまいました。

そこで、東通村と青森県は半々の負担で寒立馬保存対策基金を創設。あわせて7年計画で牝馬保留、放牧管理などの保護対策を開始しました。平成14年11月、寒立馬が放牧されている尻屋灯台付近の景観が青森県の天然記念物に指定されると、観光客の人気を集めるようになります。そして、7年計画終了後の今も行われている東通村独自の保護活動により、現在、尻屋で暮らす寒立馬は30頭前後までになりました。

 

 

漁の合間に尻屋牧野組合の組合長(撮影時)が、馬の世話をしていました。防風林に沿って乾草ロールをたくさん置いていきます。

馬を管理している尻屋牧野組合の組合長に話を伺いました。彼は漁師さんです。かつては野放し状態で気性の荒い馬が多かったそうですが、あるとき肢を捻挫した馬を隔離して面倒みたところ、馬がとてもなついたことがきっかけで、組合員が面倒をみるようになったのだそうです。

冬に出会う寒立馬の多くはお腹の大きな牝馬と前年に生まれた子馬です。彼らはアタカと呼ばれる防風林に囲まれた越冬放牧地で過ごします。アタカの入口近くには馬たちの冬場の飼料が保管されている倉庫があり、夏期にアタカで採草された乾草ロールを毎日たっぷりと食べて、栄養状態も良好です。2月から3月は流産の危険をさけるため、栄養価の高い飼料を与えます。春になると、馬たちはアタカから灯台付近の放牧地に移動し、出産のために作られた囲いの中で保護され、組合員に見守られながら、お産を迎えるそうです。

むつ市と東通村の境に位置する村営牧場には寒立馬の種牡馬、つまりお父さん馬がいます。種牡馬は、冬場は厩舎でたっぷりと栄養をつけ、春、寒立馬の牝馬の群に放牧され、自然交配で新しい命を育みます。藩政時代には一般的だった繁殖形態ですが、現在では全国的にも珍しくなりました。生まれた子馬たちは、牡馬は当歳で、牝馬は2歳で繁殖に残す馬を除いてすべて、七戸で行われる農用馬のセリに出されます。馬たちが「寒立馬」ではなく「農用馬」として新たな道を歩み、その収入で尻屋牧野組合が成り立っているとのことでした。

 

 

○冬放牧地アタカ。以前は背後にそびえる桑畑山で馬たちの夏の放牧が行われていました。

○静かにすごす芦毛の牝馬。白い馬はめずらしくなりました。

○冬の間、村営牧場で舎飼いされている寒立馬の種牡馬。この馬はフランス生まれのブルトン種でしたが、芦毛のペルシュロン種が種牡馬を務めることもあります。

「天然記念物」となり、下北半島の風物詩に

 

【天然記念物指定となり観光客も訪れる様になった】

 

観光客を眺める寒立馬。大型バスでひっきりなしに観光客が訪れますが、馬たちは動じません。これもう馬たちの仕事のひとつです。放牧地には、東京、大阪、名古屋から訪れるツアー客や、カメラを手にした写真愛好家の人たちがやってきます。馬たちは頻繁にやってくる人たちに驚く様子もありません。けれども、冬場はお腹に子供がいることもあって馬たちはとても大人しいですが、出産シーズンには生まれたばかりの子馬を守るために母馬は気がたっています。そんな母馬に近づいて思わぬ怪我をした観光客からは、その苦情がすべて牧組合に来るのだと組合長さんは苦笑いをしていました。

 

本来、尻屋の馬たちは決して人を襲うような馬ではありません。馬が暮らす放牧地を訪れるとき、私たち人間はまず静かに彼らを見守り、人に対する警戒心をといてくれるのを待つ。組合長さんのお話しは、改めてそのことの大切さを教えてくださったように思います。

かつて漁師さんたちの労働や経済を支えた馬たちが、一度はその役割を失ったものの、尻屋の放牧風景の一部として天然記念物の指定を受け、「風雪に耐える姿」は下北半島の風物詩になりました。冬の雪原に立つ寒立馬の姿は、多くの人を魅了してやみません。一方、セリで馬を売ることによって得る収入もまた、馬の頭数や美しい景観を維持するために必要なのです。尻屋で暮らしているからこそ「寒立馬」とよばれる馬たちは、観光と経済に貢献するという形で今も人とともに生きているのだと感じました。

 

【厳寒の岬に立ち尽くす】

その名が示すとおり、雪の吹きすさぶ中、寒さや風雪にじっと耐える姿が印象的な寒立馬。南部馬を祖先に持ち、改良を重ねた田名部馬をブルトン種などと交配し、尻屋地区独自の農用馬にしていたもので、粗食や寒さに強いのが特徴。一時は9頭まで減り絶滅が心配されたのを、有志の手によって保護が行われ、現在では30頭ほどまでに回復した。普段は、ゲートで仕切られた尻屋崎の敷地内に放牧されていて、その様子は自由に見学できる。春に敷地内のあちこちを移動し、母馬のそばを飛び跳ねる愛くるしい仔馬の姿が見られるが、冬期間はアタカと呼ばれる場所で、冬を越す。その姿はいつ見ても心が揺さぶられる。

 

 

高草操氏 profile(代表してprofileを掲載いたします!)

Misao Takakusa

写真家

東京生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業後、一般企業へ就職。会社に勤務しながら日本写真芸術専門学校に通い、1998年に専科修了。写真家・秋山亮二氏に師事。馬や馬に関わる人の暮らしや文化、風土をテーマに各地を撮影し、新聞や雑誌に発表するなど活動を続けている。写真展開催は、2003年4月「フィリーとコルト」、2006年4月「遠野馬物語」、2010年3月「にっぽん、馬紀行」(いずれもコニカミノルタプラザ)、さらに2009年にはフォトエッセイ「遠野馬物語」(里文出版)も出版している。

[公式サイト] http://www.h7.dion.ne.jp/~a3546313/

 

 

記事・画像 引用・参考元

http://www.chie-project.jp/011/no12.html

http://www.aptinet.jp/Detail_display_00000049.html

http://simokita.org/sight/siriya/

http://www.chie-project.jp/011/