個食と孤食!日本の食事は「娯楽食」に堕ちた!本来の「生きるための食」が、消えていく!

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個食と孤食!日本の食事は「娯楽食」に堕ちた!本来の「生きるための食」が、消えていく!

 

ある人が農業高校を訪れ、いろいろ話をしたところ、農家の子弟が一人も居なくて吃驚したそうだ。そんなこと幾ら何でもねえだろうと思って更に突っ込んで聞いたら、1/3は兼業農家の生徒で、(父親の職業を聞いたので表に出なかっただけの話だが)ある意味ホッとしたそうだ。

 

その際の話しで、農業高校には、長期休暇中に、農家にスティしての体験実習というのがある。実習から帰った生徒の報告だと、「きつい」「汚い」「危険」の所謂「3K」を揚げる生徒は皆無だったが、実習中「最も辛かったことは何か」という問いに一番多かった答えは、なんと、「農家ではなんで家族一緒に食事をするのか?」という事だったそうな! 「これっておかしくね!?」 先生も返答に困ったそうだ。

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「同じ釜の飯を食う」という事が連帯感の基本と考え、育ってきた我々から見れば、「ほんまかいな!?」と思わざるを得ない驚くべき答えだった。

 

「個食」とは、家族揃って食事を摂るが、一緒のものを食べるのではなく、それぞれ好みのものを食べるという概念である。また「孤食」とは、近頃の共稼ぎの家庭が増えたことの反動(!?)として、家族が一定の時間に揃わず、各自がバラバラで食事をする言う様を言う。どうやら今どきの高校生は、家族揃わず、一人孤独に食事をする生徒が大半らしい。好きな時に好きなものを好きなだけ食べるという事だから、これは生きるための食事ではなく、一種の「娯楽食」である。

 

僧侶の澤木興道は、「禅談」という著作で、修行僧の食事作法について述べている。「受食五観」というのだそうだ。

  • ①功の多少を計り、彼の来處を量る。
  • ②己が徳行の全缼を忖って供に應ず。
  • ③心を防ぎ過を離るる事は貧等を宗とす。
  • ④正に良薬を事とするは形枯を療せんが為なり。
  • ⑤成道の為の故に今此の食を受く。

 

①は、この食事を戴くほどのことを成したかを考え、この食材は何処で生産され、誰によって作られ、どうして自分の口まで入るのかを思えよという趣旨で、感謝の心と、天地自然への畏敬の念を教えている。

⑤は、人は何のために喰らうのか?即ち成道の為に食を受けるのだと諭す。成道とは何か。それは「己自身を知ることだ!」と説いている。何のために生きているのか、何をすべきか、その為に、生を受けて生きており、その生きるために食するのだと説いている。

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まあ!一種の禅問答であるが、一昔前の日本人には、極当たり前の食事に対しての認識であった。つまり食事とは、単に空腹を満たす為や、ダイエットや、娯楽の為ではなく、人間形成にまで影響を及ぼすという事なのである。孤食や個食で「食の娯楽化」が進み、人間形成云々は、欠落してしまう方向にあるのではないか?

 

食は人間の体形成は無論のこと、精神的成長をもたらすものとして、大切にすべきものだが、核家族化、共稼ぎ化などにより、家族一緒に食事を摂ることも少なくなり、「(金を渡して)好きなものを食べろ!」などという事になり、CVSの店舗前で、しゃがんで食べるなど、栄養の偏り、作法の欠如など、食が蔑ろにされている。いろいろな面で日本人の劣化がみられるようになってしまった。

 

  • 「身土不二の研究」山下惣一著 「知らぬが仏か知らぬと仏か」参照。

 

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