石塚左玄は文明開化の時代に今日の混迷を予言していた!?
石塚左玄は、嘉年4年(1851)福井県生まれ。漢方医の家に生まれる。20歳まで福井藩藩医。江戸に出て、東京大学南校・化学局にて医学を学ぶ。医師・薬剤師の資格取得。文部省医務局を経て陸軍軍医。「化学的食物塩類篇」「化学的食養長寿篇」「通俗食物養生法(食養体心論)」などを著す。日本の食養・正食論の先駆者。
明治新政府の文明開化が推進され、世の中が欧米化する中で、左玄は、そんな世の流れに対し毅然とした態度で、牛鍋に代表される肉食化などに対しても批判的でした。また白米こそ脚気の張本人だと喝破し、加工食品は万病の元であり、素材を生かして食べる(自然食)のが健康の原点であるとし、民族の延々と続けてきた伝統的食事を安易に変えるべきではないと主張した。
左玄の根本思想
- 食物至上主義・・命の根源は食にあり食が病を治す。食に勝る薬なし。
- 穀物食動物論・・本来人間は、肉食動物でもなければ、草食動物でもない。穀物食動物というべき。
- 風土食論・・・・生まれ育った土地(人が1日に歩いて往復できる範囲)で育つものを食することが一番体にマッチする。
- 自然食論・・・・下手に手を加えないで、そのものを丸ごと食べる(一物全体食)のがベター。
- 食物陰陽調和論・食物には陰陽それぞれの性質があるが、それらをバランスよく食べる。
以上が左玄研究の第一人者の沼田勇医学博士が纏めた左玄の正食根本思想である。文明開化の時代に唱えたものだが充分現代に通じる説である。
また、この思想に加えて、精神的、哲学的なバックボーンも持っている。すなわち、正しい食事は、「修養である」と位置付けているのである。左玄はそれを食養という言葉で表しています。食べたいから食べるのでは、「食養」ではない。如何に食べて、如何に命を実感するかことこそ大切。「食べたくても、食べない方が人間として立派な行い」であれば食べない。それは食事というよりもむしろ自制心というべきものであり、意思の尊重であり、人間の尊厳の自覚です。
左玄の残した言葉。「通俗食物養生法(食養体心論)」の中の一文です。
「食よく人を生じ、食よく人を長大にし、食よく人を矮小にし、食よく人を肥厚し、食よく人を痩躯し、食よく人を健にし弱にし、食よく人を勇にし怯にし、食よく人を智にし才にし、食よくひとを寿にし夭にし、食よく人の心を軟化して高尚に静粛に温和に優美に、食よく人の心を硬化して野卑に喧噪に強情に卑劣を為す」
記した人間の様や心の形相も、すべて「食」の摂り方[食事のしかた]によって起こるといっています。いわば単なる栄養学を超えた人間論としての食養ということになる。現在社会は、荒廃し、心は荒び、企業モラルも低下し、混迷を呈しているが、食の乱れが原因なのか、とすれば左玄は今日の日本の世を予言していたのではないかと思う程である。
食[養]は人間の生きていく根本である。体を作り、体を動かすのは勿論であるが、精神のありようも左右するほど重要なものである。
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