須坂市では殆どの田圃で田植えが終わりました。今はトラクターで田植えをするので、昔のように一家総出で、手植えをするという伝統的な田植えは見られなくなりました。本日日野地区を車で走っていたら麦畑が結構あるところに出ました。昔は当地区でも、麦を作る農家が多かったのですが、現在はあまり見られなくなってしまいました。
小生の家でも、60年ほど前までは、兼業ですが農業をやっていまして、寒い頃は、霜で土が持ち上がってしまうので、よく麦踏を手伝いました。当時の農作業は何でもそうですが、アナログ(!?)な作業ばかりで、麦踏も畝に沿って、足で踏み固めていくという単純作業でした。一人で麦踏をやっていると、寒いし、風は耳に当たって、ビュービュー鳴り、結構心細かったのを思い出します。
麦の畝には、よくひばりが巣をつくり、そこには雛が4.5匹入っており、上を向いて、口を開いて、親が持ってくる餌をピーピー鳴き乍ら待っています。そんなのを素早く見つけて、砂などを掛けたりして、殺してしまったこともありました。田圃では、カエルが一杯出て、それを捕まえて、ストローを差し込んで、空気を入れ、腹を膨らませたり、串刺しにしたりして遊んでいました。ドジョウも結構いて、[当時はドジョウは食べられないと思っていました]生け捕って、缶などに入れ、火に充て、茹でてみたりしましたなア! 子供って残酷ですねえ!
今は畑が小々あるのですが、じゃがいもや、ナス、キュウリ、大根などを、みよう見マネで自家用に作る程度です。[田舎生活はこうして野菜などが自作できるのはよい点です!取り敢えず食い繋げます!]そんな訳で、農業とは縁がなくなって、(機械化になったとはいえ)田圃や畑に出て作業をするという事はなくなりました。進学で長野を離れるまでは、農作業をやっていたので、こうして麦畑や田植えを終えた田圃を見ると懐かしく感じます。
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