「種」について考える!現在の「食」の根本的な問題が存在する!

ド素人農業日誌

「種」について考える!現在の「食」の根本的な問題が存在する!

 

昔の野菜はもっとおいしかった──よく耳にする言葉です。たしかに昔の野菜は個性的で、大根にはもっと辛みがありましたし、ニンジンには子どもが嫌うほどの強い香りがあった。時代につれて、私たちの食べる野菜は変わってしまったのでしょうか? その裏には、「種」の事情が大きく関わっているのです。

 

【二つの種 固定種(在来種)」と「F1種」】

 

野菜の種は、「固定種(在来種)」と「F1種」に大別されます。

固定種とは、いわば「普通の野菜の種」。一番よくできた野菜を選んで種を採り、その種を蒔いて育てた中からまた一番よいものを選んで種を採り、といったことを何代も繰り返して品種改良したものです。長い時間をかけて気候や風土に適応し、その土地にしっかり根づいたものですから、肥料や農薬に頼りすぎずに栽培ができますし、種を採って毎年再生産しつづけられます。昭和30年代頃までは、ほとんどの野菜が固定種でした。

 

一方、現在の市場で全盛を誇るのは「F1種」。人為的につくられた一代限りの雑種です。別系統の野菜を掛け合わせると、一代目のときだけに現れる雑種強勢によって、野菜の成長が早くなり収穫量も増大。さらに雑種の一代目は両親の優性形質だけが現れるため、形や大きさも揃う。そんな性質を持った、大量生産・大量消費<現在の経済的要請に合う>にうってつけの種です。

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しかし、このF1種が人間の意図した通りの性質を持つのは一代限り。そもそも二代目以降が作られることを初めから想定していません。そのため、農家は毎年、種を買わなければなりませんが、高齢化で人手の少ない農家にとって、仕事を減らし収入を増やす意味で、またとない種になったのです。種苗会社はこれによって、毎年種を売ることが可能となります。<両者の思惑が一致します!>

 

【本当の野菜とは】

 

たしかに市場経済の観点で言えば、効率よく大量に作れるF1種の野菜は文句なしの優等生かもしれません。しかし、野菜は生きものです。人間の都合に合わせて、種をつける力まで削がれた野菜に違和感を抱く人も少なくないでしょう。

 

F1種の便利さだけに流されていったら、本当の野菜が途絶えてしまうのではないか。そんな危機感を抱き、固定種の種を次世代へ繋いでいこうとしている人たちもいます。「いまや世界中の人々が、子孫を残せなくなった野菜を食べています。それは自然界から見れば不自然なこと。F1の種しか残らなくなってしまってからでは、もう後戻りできない。だから自家採種できる固定種を売っているんです」と語るのは、野口勲さん。埼玉県飯能市で、自家採種できる固定種を400~500種も扱う種屋さんです。

 

種は長期保存できません。誰かが毎年育てて採種し続けないと、この世から消えてしまいます。その意味で、野口さんが期待するのは、自分で育てて種を採ることのできる家庭菜園愛好家の存在。みんなで育てて自分で種を採っていけば、それが最高のシードバンクになるだろうという発想です。【動物の世界でも、絶滅種の問題が起きています】

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【種と家庭菜園】

 

「固定種は家庭菜園に向いている」と野口さんは言います。市場経済では欠点とされる生育のバラつきは、家庭菜園では逆に、少しずつ長い期間にわたって収穫できるというメリットがあるからです。また、たとえ病虫害が発生したとしても、遺伝的な多様性を持つ固定種なら全滅はせずに、いずれかの株が免疫を獲得して生き残り子孫に受け継いでいく可能性が高いといいます。なるべく農薬を使わずに育てたい家庭菜園にとって好都合です。(逆にF1種は本来的に、害虫などに弱いという面を持っているので、必然的に、農薬や、消毒や化学肥料なしでは育たないという宿命を負って生まれてきます)

 

そしてさらに、自分で種を採れること。野菜を育てるということは、野菜という命の一生を見られることです。芽を出し、花を咲かせ、実を結び、種をつけ、その種から、また芽が出る…そんな自然の繰り返しの中で、命のバトンをつないでいく野菜の姿を見ることができたら、それは、家庭菜園ならではの贅沢と言えるかもしれません。

 

【市場が求める野菜】

 

味や香りで言えばもちろん固定種の野菜に軍配があがるのですが、現在、スーパーや八百屋の店先に並ぶ野菜の中に、固定種のものは殆どありません。形が不揃いなため、市場に受け入れられなくなってきたからです。いま流通している野菜の中で、家庭で調理されるものは3割以下。残りの7割は、外食や中食用だといいます。そこで求められる野菜は、形や重さなどの規格が揃ったもの。不揃いな固定種は機械調理には不向きですし、野菜そのものの味を持っているため、機械的に調理すると均一な味には仕上がりません。極端な例では、「味付けは自分たちでするから味のない野菜を作ってほしい」という要望すらあると聞きます。野菜そのものに味があると、同じレシピで作っても仕上がりが違ってくるので不都合だというわけです。「安いもの、便利なものがいい、という価値観が続く限り、F1の流れは止まらない」という野口さんの言葉が実感できます。

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世界の人口増や食料事情を考えると、F1種の便利さを一概に否定することはできない時代になっている。しかし、私たちの口にする野菜のすべてが自然の摂理から外れたものだとしたら、それはやはり異様な光景に思えます。なぜなら、人間もまた自然の一部として生きているからである。自然に育った野菜らしい野菜を食べたいと思ったら、私たち自身が消費者から生活者へと意識を変え、生産者を支える意識を持つ必要があるのかもしれません。

 

またこれらは野菜だけに限った問題ではない。養殖もまた同じように、不自然な、自然界には存在しない魚、牛、豚、鶏(卵含む)などを生産している。病気で死なれては、丸損になる為に、病気の発生を待たずに、先ず抗生物質などを使う。ホルモン剤、配合飼料などを使い、促成化に努める。また運動をさせず、少しでも早く出荷できる大きさに育てる。経済的効率、省力化、換金効率化(回転の短縮化)などの要請である。斯くして、我々の食卓に、作物も、肉類も、自然界では存在しないようなものが揃えられる。そのようなもので我々の体を作り、栄養として摂取され生理活動を営む他ないのである。

 

引用・参考元

種を考える

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