福島宿は、東に行く大笹街道と、松代に向かう北国脇街道(松代道)との分岐点にある交通の要衝の地となっている宿場である。福島は千曲川東岸の自然堤防上に形成された街村で、本通りの中ほどに、「左 草津仁礼道(大笹街道) 右 松代道」と刻まれた石道しるべがあります。千曲川に架かる屋島橋の袂から、千曲川堰堤に沿って、村山橋方向に600mほど行く間に宿場の雰囲気の建物が残って居ます。
福島は戦国期ころからすでに千曲川の渡船場があり、慶長16年、松平忠輝によって北国脇街道・松代道が整備され福島は伝馬宿として成立しました。北国脇街道・松代道はこの先千曲川を渡って、対岸の長沼宿へ至り、豊野を経て本道へ合流しました。
福島宿は南北約600m、北と南にそれぞれ桝形を設け、北の桝形には鎮守の天神社と浄土宗西福寺を配しています。北の桝形は鎮守と共に現存[道路が狭く、またトラックなどの通行が多く、また直角に曲がっているので一寸危険]しています。
大名行列などは、北国街道本道を通ったので、福島宿は、物流を主体とした、あくまで商業主体の宿場町だったようで、宿場の南側には問屋・本陣を務めたと思われる旧家は見られるものの、川田宿同様に旅籠は少なかったようです。
ここから600mほど行ったところに、「幸高(こうだか)」と呼ばれている所があり、両所を繋ぐ道路があるのですが、地元の人はそれぞれの頭の文字を取って、「幸福通り」と呼んでいます。一面田圃と畑なのですが・・。またその傍に福島城[砦]跡もあるみたいでしたが、探したけれど見つかりませんでした。
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