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いよいよ夏まつりも始まった。「蔵の街須坂」も、先週の日曜日の子供みこしに始まって、16日「カッタカタまつり」が行われ、いよいよ来週から弥栄祭[祇園祭]が始まる。今は早朝墨坂神社(芝宮)☜須坂には墨坂神社が2社ある。奈良県宇陀の墨坂神社と関係があるらしい!)で、祭り開始の神事が執り行われ、それが終わり次第、笠鉾巡行が行われ、午前中で済ましてしまうが、我々の年少のころは、期間中(3日間くらい)祭り気分が町中に溢れていた。祭りが近づくと指折り数えて楽しみにしていたものだ。
 行列を見る人も多く、夜は夜で、辻々で屋台なども立って、芸者衆の踊りの披露などもあって、そんなに人が居たのかと思うほど、人で溢れたものだ。今は行列に参加している人の方が、見る人よりも多い様な寂しい光景になってしまった。 その頃といえば、畑仕事も今ほど機械化もされておらず、人の手で耕したりしていた時代で、人々もあくせく働く毎日だったから、お祭りはいい休息日でもあったのだ。どんなに忙しなくとも、お祭りの3日間は、仕事は休んだものだ。家でも近在の親戚なども、態々訪ねてくれ、泊って行ったりもした為、凄く賑やかで、従兄妹たちとも1日中わいわい遊んだものだ。

流石にそれぞれの親戚も代が変わり、小生の様に田舎を離れ、他所に家でも建てようものなら、それこそ付き合いも希薄になり、お祭りも昔みたいに、親戚も集まる機会も希薄になってしまった。

さて「カッタカタ祭り」の様子を少し書いてみよう。まず「<カッタカタ>って何!?」と思われる方が多いと思われるので、そこら辺から説明します。

嘗て(大正時代)須坂は日本でも有数な製糸業の街で大いに発展したのです。私が小学校に上がる頃までは、市内にも未だ製糸業を営んでいる工場もあり、一般の家でも、繭玉から糸を、繭玉から糸を括り出して、四角の木枠に巻き取る仕事に従事するところも結構ありました。[余談ですがNHKの<日本紀行>という番組が近所のお宅に取材に来たこともよく覚えています]その糸を手繰る木枠の出す音が、「カッタカタ、カッタカタ」と聞こえたので、中野市出身の中山晋平が、須坂小唄を作るに際して、この擬音を歌の中に取り入れたのです。

カッタカタ祭りは、その須坂小唄を背景に、それぞれの連が趣向を凝らして踊るのですが、その歌の中に、「そりゃ!カッタカタのタ!そりゃ!カッタカタのタ!」と合いの手が入ります! その擬音が祭りの名前になっているという訳です。この祭り自体は、私の年少の時代にはなかったと思います。何時頃から始まったかは調べてありませんが、少なくても、私が郷里を離れるまでには行われていませんでしたから、それ以降始まった祭りだと思います。(郷里を離れて早や53年経ちます!)

そういう訳で、弥栄祭(祇園祭)みたいな伝統的なお祭りではありませんが、子供も、若い人も、大人も、町内会や、職域、団体などの連を作って、自分たちのお祭りという色彩の濃い祭りで、市民の連帯や町づくりの一環になっているのではないかと思われる。

いま何かと郷土色も薄れ、シャッター街なども増え、人の繋がりも希薄になりがちだと思うが、市民的規模で、こういう祭りが継続されているのはいいことだと思う。