【今週の一冊】 中島岳志・評 『安倍三代』=青木理・著

 

「不気味さ」を言語化する必要がある

昨年の6月19日、安倍晋三首相は東京の吉祥寺で演説のマイクを握っていた。すると安倍内閣に批判的な市民が押し寄せ、「帰れコール」をくり返した。

 

しばらくは無視をしていたものの、我慢ができなくなった首相は、次のように言いかえした。「私は子供の時、お母さんからあまり他人(ひと)の悪口を言ってはいけない。こう言われましたが、(中略)妨害ばっかりしている人がいますが、みなさん、こういうことは止めましょうね、恥ずかしいですから」

私は首相が口にした「お母さん」という言葉が、どうしても気になってしまう。ここに露出したナイーブな幼さと、あの高圧的なタカ派イデオロギーのアンバランスに戸惑いを覚えるからだ。しかし、両者は一体のものとして安倍首相の人格を形成している。ここを読み解くことが安倍晋三を理解する鍵となる。彼はどのような背景と歩みによって、今のような政治家となったのか。本書は歴史を遡(さかのぼ)ることで、その本質に迫る。

 

安倍首相の祖父といえば、母方の岸信介が思い浮かぶ。実際、首相も岸については繰り返し言及して来た。しかし、もう一人、彼には祖父がいる。父方の安倍寛(かん)である。ただ、首相は「寛についてほとんど語ろうとしない」。一体なぜか。

 

寛は戦前・戦中に衆議院議員を務めた。彼は平和主義者で反戦を貫き、東条内閣の方針に真っ向から刃向った。庶民目線で「富の偏在」に憤り、権力の専横に全力で抗(あらが)う反骨者として地元から敬慕された。

しかし、戦後すぐに51歳で病死する。そのあとを継いだのが首相の父・晋太郎だ。

 

戦中、晋太郎は徴兵され海軍に入隊した。そこで「特攻」を志願し、死を覚悟する。1945年春、両親と面会すると、病床の寛は言った。「この戦争は負けるだろう。だが、敗戦後の日本が心配だ。若い力がどうしても必要になる。無駄な死に方はするな」

 

晋太郎は、命を落とすことなく、戦後を生きることとなった。毎日新聞社に入社し、岸信介の娘・洋子と結婚。1958年に衆議院議員となった。

 

晋太郎はバランスのとれたリベラル保守の政治家だった。極端を嫌い、独善を避けた。その政治姿勢は地元の在日コリアンにも受け入れられ、幅広い信頼と共感を獲得した。

 

晋太郎がよく口にする言葉があった。「オレは岸信介の女婿じゃない。安倍寛の息子なんだ」。晋太郎は、戦争に反対した父を誇りにしていた。

 

政治家になる直前に生まれたのが次男・晋三だ。彼は凡庸で目立たない子どもだった。政治家になった晋太郎は忙しく、子供と触れ合う時間はほとんどなかった。代って晋三を溺愛したのが岸信介だった。

著者は、晋三の関係者を訪ね歩く。同級生や母校の教員に取材をするが、殆どの人の印象に残っていない。どこを調べても若き日に自らの意志によって政治意識を育んだ様子は見られない。ましてや現在のような政治スタンスは見られない。

 

晋太郎が総理の座を目前に病死すると、晋三は1993年に政界入りした。そして、急速に右派イデオロギーに染まる。関係者は言う。「あれは間違いなく後天的なものだと思います」

 

晋三の政治スタンスは、父への反動だったのか。本書は安易な結論を避けつつ、取材を通じて感じた「不気味さ」を率直に語る。しかし、彼のアンビバレント(二律背反的)な本質を論理化するには至っていない。

 

著者の言う「不気味さ」を言語化する必要があるだろう。本書の延長上に、より重厚な安倍晋三論が書かれることを期待したい。

 

 

引用・参考元  毎日新聞

http://mainichi.jp/articles/20170326/ddm/015/070/033000c?inb=ys