<訃報>土山秀夫氏92歳=長崎で被爆・元長崎大学長!
長崎原爆の被爆者で、元長崎大学長の土山秀夫(つちやま・ひでお)さんが2日、多臓器不全のため亡くなった。92歳だった。葬儀は近親者のみで営む。自宅は長崎市三川町。
1945年8月当時は長崎医科大付属医学専門部(現・長崎大医学部)3年だった。同月9日の原爆投下時は母の疎開先の佐賀にいたが、翌10日に長崎市内へ戻って被爆。負傷者の救護に奔走した。爆心地から350メートルの山里町で同居していた兄一家4人は全員被爆死した。
その後、52年に長崎医科大を卒業。専攻は病理学で、米国留学などを経て、69年から長崎大教授となり、82~86年に医学部長、88~92年には学長を務めた。
学長退任後、核兵器廃絶や恒久平和を訴える市民運動に本格的に取り組み、運動を理論的な面からリードした。90年からは長崎原爆の日の平和祈念式典で長崎市長が読む平和宣言の起草委員を25年間務め、2004年からは「世界平和アピール7人委員会」のメンバーにもなった。10年に長崎市名誉市民に選ばれた。山田洋次監督が長崎原爆を題材に撮影した映画「母と暮せば」の主人公のモデルにもなった。
毎日新聞が06年から続けている記録報道「ヒバクシャ」では、戦前・戦中を知る立場から安全保障関連法の制定や憲法改正の動きに警鐘を鳴らしていた。
記事引用元 Yahoo News <毎日新聞社>
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170902-00000057-mai-peo
画像元 yjimage
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