「赤城の山も今宵限り・・・」の国定忠治!須坂市寿泉院になぜか「忠治地蔵」なるものが存在する!秋葉神社(長野市権堂)には忠治の墓もある!

 

 

須坂市大日向の薬師堂夫婦桜の脇道を三原街道というが、その道を西進し、普願寺の方へ下っていくと、寿泉院に至る。

 

寿泉院の山門手前右側にある地蔵は国定忠治の像といわれる。 江戸末期の侠客、国定忠治の地蔵菩薩で、嘉永3年(1850)に造られた。もとは野沢温泉にあり中風除け忠治地蔵として親しまれていた。昭和25年訳あってここに安置された。このお地蔵様の評判は、寧ろ県外の方が高く、群馬県や新潟県等からわざわざ訪れる人もいるという。

忠治は謂わずと知れた江戸末期の「赤城の山も今宵限り~」の浪曲で有名。当時国定村[群馬県]では、天保の大飢饉があり、その際に、自らの私財を投げうって村人を助けたと言われている任侠・博徒です。信州へもしばしば足を運んだようで、[北信はもとより、遠く越前、越中、越後方面にも脚を延ばした]、その際は大笹街道の抜け道[三原街道]を通ったことでも知られている。賭博稼業など罪を重ね、しまいは搩刑の運命となる。

 

なお、当区では、区長以下が毎年春・秋に参拝し、区の平穏無事と区民の健康を祈願している。

 

なお長野市権堂にある、秋葉神社には、本家のお墓から分祀された忠治の墓がある。長野に国定忠治?と思われるかも知れませんが、天保の頃、権堂村に宿をとった際、娘を身売りし、その金を奪われ困っている百姓に同情し、助けたという逸話が残っています。権堂村[今はアーケド街になっており長野市でも最も賑わう商店街になっている]にも足を運んでいたようです。

まあその様に、忠治親分も、信州にも、いろいろ足跡を残しているのである。

[三原街道は、本道の抜け道的要素もあり、表向けに出来ない稼業の忠治が通ったということは、三原街道の機能を示しているようでおもしろい!]

 

 

引用・参考元 信州「すざかのお宝」

http://www.city.suzaka.nagano.jp/otakara/search/item.php?id=410

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