善光寺を参拝して、往生寺まで足を延ばし参詣しました。善光寺本堂の北西小路・湯福神社前を起点として、往生寺まで、「一丁」「二丁」と、「六丁」まで、距離を示す碑に沿って、急坂を一直線に上る。30分は掛かった。
往生寺は、鎌倉時代のころ、九州博多の城主、刈萱加藤左衛門尉重氏が世の無常を感じて出家して高野山に入り、刈萱上人と名前を変えて修行していたところへ、その子の石堂丸が尋ねてきて弟子入りを迫りました。(母も一緒に逢いに向かったが、途中で死亡)刈萱上人はやむなく許したものの、親子の情愛に泣かされて修行がおろそかになることを恐れ、信濃の善光寺に参篭して如来よりこの地を授かり寺を建てました。83歳で寂しました。
生前、刈萱上人が彫刻して遺しておいた地蔵尊を、後から慕って往生寺まできた石堂丸も、それを手本として同じものを刻みました。これら二体の仏像を刈萱親子地蔵尊と呼んでいます。この地蔵尊は、厄難を救い、臨終には必ず同行となって極楽へ導いて下さるといういい伝えがある。また、これ等の経緯を絵解きにし、全国的に珍しくなった「絵解き説法」が継承されている。住職が独特の口調で語る法話であるが、例によって行き当たりばったりの旅なので説法を聞く機会には恵まれなかった。
【神社仏閣めぐり】 往生寺 「夕焼け小焼け」の童謡発祥の寺 長野市
本堂の裏には刈萱上人墓所、境内には、芭蕉・一茶の句碑、吉良上野介手植え桜や弘法大師作の波切不動がある他、梵鐘は「夕焼けの鐘」と呼ばれ童謡「夕焼小焼」ゆかりの鐘だという。
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