自分の五感を信じよ!食材が傷んでいて使えないかどうかは自分で判断せよ!他人が設定したものに頼り切るな!

健康

自分の五感を信じよ!食材が傷んでいて使えないかどうかは自分で判断せよ!他人が設定したものに頼り切るな!

 

今の子供は切り出しナイフを知らないという。したがってそれで鉛筆を削るということも知らないし、削ったこともない。第一ボールペンとかを使い、鉛筆そのものを使わないのかも知れない。(鉛筆削りという便利な物もあるしな!)

 

水道の蛇口の、ハイカラ(もうこの言葉も死語になっていて、偶に使うと笑い声がドット起きる!)になって、「ワンタッチ」で水が出たり、止めたり出来る。便利になったと言えばなったのだが、蛇口を捻ることさえ出来ない子供が多いのだと聞く。この種の話は履いて捨てるほど多い。

 

その結果として、「自分の五感が信じられなくなっている」風潮に陥っているのではないかと思う。

 

例えば食べ物が傷んでいるかどうかを判断する時は、目で見たり、匂いを嗅いだり、チョッと舌にのせたりして、「これはもうあかんわ!腐り始めておるでえ!」などと判断して捨てたりするが、そんな一昔なら極当たり前のことをしただけで、まるで「超能力」の様にみられ、びっくりする若いお母さんや、その子供が大半になった。

 

即ち、命に関わる食材の傷み具合を、自分の五感で判断出来なくなっているのである。即ちそういうものを判断する時に、「自分を信じられなく」なっており、食品の「賞味期限」即ち他人が設定したものに、異常に頼り切る風潮になっている。

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今の若いお母さんや、その子供は、必ず食べる前に、「賞味期限」をチェックする。「大変だ!もう期限が3日も過ぎているよ!」と大騒ぎになる。<賞味期限は最もおいしく食べられる期限であり廃棄しなければいけないという意味ではない>

 

女房や私は、見ることは見るが、そんなものに頼ってはいない。匂いを嗅いだり、場合によっては、舌にのせて「ちょっと酸っぱいなあ!止めた方がいい」ってなもんだ。子供たちは呆れている!

 

自分の五感や、判断をではなく、賞味期限の方に絶大な信頼感を置くという事は、逆に言えば、もし腐っていても賞味期限内ならば、食べるという意味になるであろう!「一度試してみてえもんだ!はっはっは!」

 

つまり自分の命を人任せにし、他人【業者】に頼り切っている訳で、これが(大袈裟に言えば)世の中の不信と不満を生み、生きていく上での自信喪失に繋がっているのではないかとさえ思ってしまう。

 

田舎で無農薬・減農薬で果物を作っている知人が、「無添加果実ジュース」を送ってきてくれたのだが、瓶入りのジュースをしげしげと眺めまわして、「大丈夫かなあ!?」と娘が言った。「やっぱり防腐剤が入っていないと心配だなあ!」と迷言を吐いた!蓋し名言!いや迷言!いまや防腐剤が入っていないものや、賞味期限が入っていないものは「逆」に怖くて食えないのである!

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だんだん生きていく上に必要なものが、省略され、他人から出されたものや判断に頼り切るという風潮が蔓延って来ている。「使わない釘は錆びる」という。ヒトでも同じだ。使わない器官は退化するのは回避できない。斯くして「生き物としての能力の退化」と、あたら命を他人に任せっ切りになるという主体性の喪失がどんどん進む。生きていく上での自分の判断が自分から離れて行く傾向にあると思わざるを得ない!(健康もそうだ!医者に任せ切り、薬に頼り切り!☞自分の健康は自分で守る!☞この記事と同じことがいえる!)

 

余談ですが、あるアンケートで、「賞味期限を過ぎた食品をどうしてますか?」という問いに、「即廃棄する」、「一応確かめてみる」という答えを差し置いて、「主人に食べさせる」という回答が、圧倒的な差をつけて1位だったのには、苦笑するやら、呆れるやら複雑な心境だった。世の中変わったといわれるが、嘗ては大黒柱などと言われた存在が、今では「賞味期限切れの後始末」かと思うと、今のお父さんの位置付けや評価(!?)がこんなにまで下がっているのか痛感した。滑稽さを通り越して悲しくなるね!今の風潮を表している。

 

「身土不二の探求」山下惣一著 「知らぬが仏か知らぬと仏か」参照。

 

 

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